少し上向くEnoのメモ

えのころ草をはじめ、気分が上向く物のカケラ集めのブログです。

今だから話せる、「本当に充分だよ。」

特別お題「今だから話せること

話せる時には、言葉に出来ず、もう話せなくなってしまってから、伝えておけば良かったなぁと思ってみたり。

 

小学校4年生の当時、鍵っ子だった私は、毎日真っ直ぐ家に帰れる友だちを、羨ましく思いながら、毎日学校のあと学童(放課後の子ども預かり施設)に通っていました。

 

学年が上がるごとに同年代の友だちが学童をやめて行きましたが、夕方遅くまで留守番をしなければ行けない私は学童に行き続けていました。とにかく、いろんな気持ちがありながら通っていたのです。

 

学童では、毎年12月に演劇の発表会があります。4年生でただ1人となった私は、年長という事で演劇の中心となる役をもらいました。

演目は、「泣いた赤鬼」という有名な子ども向けのお話しです。人から恐れられて一人ぼっちの赤鬼が、青鬼君というたった1人の友だちを見つけますが、青鬼くんは村の人間に赤鬼くんが受け入れられるよう、悪い鬼のふりをして姿を消すという、子ども心になんとも言えないお話しです。

私の役は、赤鬼でした。これを手話をしながら演じるというアレンジがあった事もあり、私にとっては、難易度が高いものでした。

 

劇の当日、私の母も見に来ました。当時、仕事が忙しい母に授業参観などもほとんど見に来てもらった事がなく、私は親が観に来るというだけで特別モードだった気がします。

小さな舞台で「泣いた赤鬼」が始まりました。順調に順調に劇は流れて行き、大道具の入れ替えで、舞台が暗転したときの事です。

 

主役の私は、舞台に1人、椅子に座って道具が入れ替えられるのを静かに待たなければいけないタイミングでした。

ところが、年下の子たちが、なかなか道具を入れ替えられません。

 

暗転しているから大丈夫と思ってしまったのか、私はその間が怖くて、その子たちに、小声でちょっと乱暴に叫んでしまったのです。

「ちょっと早く!!早く!!」

と言いました。

 

その後、無事に劇が終わりました。

 

母たちのところに戻り、当然主役で、すごい緊張の中で頑張ったので、褒められると思いました。

ところが、母に言われた言葉は、「よく頑張ったね。でもあの劇の合間の、友だちへの言葉でずいぶん雰囲気が壊れちゃっていたから、友だちにああいう風に言葉を言うのは良くないよ」でした。

 

私はがっかりしました。私が劇の雰囲気を壊したのなら、劇は失敗だったのかぁ、と。

そのあと何もしゃべりませんでした。

 

同じ学年の友だちが誰もいない学童に通う辛さは、誰にもわかってもらえないんだなぁと思っいました。

そのまま、私は学童を四年生の終わりに卒業しました。

 

それから30年近く時が流れました。

私は母になり、母は祖母となりました。

ある日、私は小学校3年生になった娘の学芸会を、母と観に行きました。

発表内容は演劇でした。

 

演劇が終わったあとの事。

見終わった母がこう言ったのです。

「そういえば、泣いた赤鬼の劇をやった事があったよね。あの時、劇の合間にすごく強く友だちに早く!って叫んでたよね。」

そのあとの言葉です。

「あの強い様子を見て、辛そうに学童に通っていたけど、友だちに言いたい事は言えているんだと思って安心したんだよね〜」

30年前と言っている事が逆だったんです。

「いや、お母さんあの時、私に劇がぶち壊しで、友だちに強い事言い過ぎって怒ってたよね」

と私は言いました。すると、

「そうだったかなぁ」

と言うのです。なんと母の記憶には、怒った事は残っておらず、自分が子どもを見て安心した記憶だけが残っていたのです。

 

もしも本当の気持ちの方が強く心に残って忘れにくいのだとしたら、あの劇のあと、母が私に説教をした事は、本心ではなかったという事です。

 

母は劇の出来ばえよりも、集団の中の私がどんな風かを見ていたのだという事です。

 

そして働きながら子育てをしている今になってあの時母が言えなかった事はこういう事ではなかったかと思うのです。

「毎日通っていて偉いね、学校から帰って来ておかえりなさいと言ってあげられなくてごめんね」

 

そして私が「今だから話せる事」。

確かに当時、鍵っ子が少ない中で、放課後に学童に通うことは、不器用な私にとってはつらいことでした。

でも、その環境ならではの多様性の中で、私は自分が想像する以上に、人には色々な気持ちがあるのだという事を知ったのです。

その経験が、今の私を助けてくれているのは確かな事です。

 

という事は、きっとすべての事が、当時母が心配しているよりも「充分だった」という事です。

どんな時も、思うよりもずっと「充分」でした。

当時は慌ただしい毎日の中で、表現できませんでしたが、今なら何が「充分」なのか、沢山の言葉で話せる気がします。

 

もう直接話せないけれど、この気持ちが、ちゃんと届いているといいなぁ。