文学フリマ東京36、圧倒されました。「場」どころか、もはや文化を創ってる感じがしたので、学校の教科書には載せて欲しいです。そして、流通センター行ったら、ゆで太郎。最高の一杯でした。
初めて文学フリマに行きました。
当日の写真も配布していただいた物も宝物にします。
「文フリ」と「はてな」の存在の始まりと継続について、私は何も知らなかったので、予習と復習しました。
私には難しくて到底その沿革を噛み締めるのが困難ですが、一つ素朴に思ったことがありました。
2000年代の始まりのあたり、あの就職氷河期、さらに超氷河期というあたりに、こんなに力強いことがあったんだなぁ。という感覚です。
あの時期に始まって、続いている存在自体が、私にとってはすごく特別に思えます。
色々な意味で初だった自分にとって、「文フリ」の存在も「はてな」の場も、文化っていうキーワードが浮かびました。一緒に来てくれた父が行く前に、すでに庶民が主役になった元禄文化みたいって言っていました。
すごくなるほどと思いました。
文化ってなんだっけ?と思ったら、人間の精神活動に関わること(広辞苑)とか、人類の理想を実現していく活動(オクスフォードランゲージ)とか出てきました。
やっぱり、もはや、文フリさんも、はてなさんも、文化さんになってると思いました。
「不良債権としての「文学」」という、文フリの始まりに関わる文章も読ませていただきました。
文学について、難しいことは全然分かりませんが、明らかに2000年代初めの事として、文フリとはてなという存在の始まりに、ただただ感謝です。続いているということに、尊敬です。心から。
うまくまとめられないのですが、
ライフワークとライスワークのせめぎ合いはいつもあるけれど、それぞれ、「場」があればこそかなぁと。
発信する人に「場」を創って、繋いでくれる人たちがいてくださることに感謝です。
最後に、流通センター出てすぐの、ゆで太郎で、お店のおじさんが子どもに、そばつゆを忙しい中、わざわざ別によそって出してくれました。
ゆで太郎も初でした。最高に美味しかったです。
文フリそして、流通センター行くなら、ゆで太郎、という結論でした。