3月は自己肯定感が勝手に乱高下。でも、ブレないのは無常感と「時」を惜しむ感覚。
自己肯定感とは読めないもので、「晴れ+桜」なら、何やら上がり、「雨+寒い」だと気づけば下がっているようなところがある気がして。
3月は特に、あるがままの自分を受け入れるどころか、日々の諸条件と出来事で自己肯定感もかなり適当に乱高下し、自分の手にはおえず。
ところが、3月の天気にも出来事にもブレない気持ちもあって、それは、「時が過ぎていっちゃうなぁ」という感覚のような気がします。
3月の何とも言えない気持ちを、何か表現したいと思って色々記しました。
でも、結局、李白のこの3月の詩に到底、かないませんでした。
「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」
最後に、詩と書き下し文を載せました。
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1 三月の不安定と自己肯定感
2 3月の喧騒でもブレない気持ち
3 3月のキーワードは「時」
4 3月といえば、詩仙李白のこの詩
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1 三月の落ち着きのなさと自己肯定感
3月の寒暖差と天気の変化は、気分にずいぶん影響する気がします。
以前に、カエルの気圧計について書かせていただいたのですが、1日の中で気圧も大きく変化しています。
晴天に桜が咲き、暖かい日差しの中にいると、別によいこともないのに、「今年度もよく頑張ったなぁ」といった気分に。
雨天で寒くなるとそれだけで、不運な気がして気分も下降。
3月は、お別れの季節でもあり、つくづく、気持ちに落ち着きがないなぁと思います。
2 3月の喧騒でもブレない気持ち
3月は、自己肯定感が低くなるような出来事もありましたが、正直それよりも、もうこんな時期?とか3月終わっちゃうの?というように、過ぎていってしまうこと自体に気持ちがいく事が多くあります。
穏やかに表現すれば、「無常感」ですし、これをポジティブに使えば、
嫌なことでも、「どうせ過ぎていっちゃうなぁ」という気持ちです。
3月以外は、達成感とか自己肯定感が重要に思えますが、3月だけは何か違うように思います。
去っていく人、物、事全部に名残惜しい気持ちがあって、その名残惜しさが他の事をどうでも良くする感じです。
3 3月のキーワードは「時」
うまく表現しきれませんが、自己肯定感を高めなきゃと良いこと集めをするよりも、3月は「時」というキーワードに浸って、去っていく今年度にお別れしたいです。
一つ前にカブトムシの事について書かせていただいたのですが、結局は同じ事なのかもしれません。
「時」を感じられる事に取り囲まれる3月、辛い気持ちや不安な気持ちになる事も多そうですが、無理に何か気持ちの処理をしなくても、深呼吸するぐらいで大丈夫かもしれないな、と思います。
4 3月といえば、詩仙李白のこの詩
「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」
意味がよくわからなくても、漢詩そのものの響きの方が、響く気がするので、ぜひ調べてそのものを読んでみてください。
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- 故人西のかた 黄鶴楼を辞し
- 煙花三月 揚州に下る
- 孤帆の遠影 碧空に尽き
- 唯見る長江の 天際に流るるを
- (意味)
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親しい友の孟浩然は、この西の地、武昌の黄鶴楼で別れを告げ、かすみにけむる花の咲く3月、揚州へと舟で下ってゆく。
楼上から眺めると、ぽつんと浮かんだ友の乗る舟の帆影が青い空のかなたに消えてゆき、あとには長江の水が空の果てまで悠々と流れていくのが見えるだけである。
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............書いていて気づいたのですが、親しい人が去って行き、結局寂しいという事が表現したかったようにも思えて来ました。
3月を、心穏やかに過ごすのは難しいですね。