ブレーメンに結局着かないロバ、練習じゃない事で時間が過ぎたゴーシュ。手段?目的?つまり?
時にロバ、時にゴーシュになれたらなぁと思う秋。
結局ブレーメンに着かず、音楽隊??と終わること。
なのに、幸せな話という感じがしみ出ているあたり。
若い働き盛りは、こき使われ、使い捨て感が激しい事。
なんとなく最近、グリム童話「ブレーメンの音楽隊」が気になって。
そういえば音楽繋がりで、「セロ弾きのゴーシュ」って、どんな話しだったっけ。
しぶしぶ楽器で動物の相手をした結果、楽器が驚くほど上達したような。
小学校で読んだ時には全然思いつかない事を、年をとってから読むと考えるものだなぁと、。
1 ブレーメンのロバを尊敬
ブレーメンの音楽隊はロバが、小麦粉の袋を運べなくなって、エサを貰えなくなるところから始まります。
すぐに、「そうだ!ブレーメンに行って音楽隊に入ろう」となるわけです。
なんで、すぐ思いつくのかなぁ?
ブレーメンに出てくる犬、ネコ、鳥を誘ったロバのたくましさというのでしょうか。
ロバは自分が音楽隊っていうわけではないんですよね。
ロバ自身の思いつきが、他の動物の運命を変えていくことになるわけですが、相変わらず、路頭に迷っている事には変わりなく。
自分にとって、「ブレーメンの音楽隊」って何だろう?
とか思ってみたり。
希望が大切。という教訓を書いている絵本の解説ページなども見ました。
例えばこれが、ブレーメンに行って美味しいもの食べよう!とか楽しく過ごそう!
だったら、他の動物はついて行ったかなぁと。
希望の中身が、場所も内容も具体的であるという点が、とても気になって。
2 手帳が売られているこの季節に
どこで、何をするか?今は時間もお金もなくても、具体的に描いた方が良いのだなと。
正直最近、手帳を買う気も失せていたんです。
なぜなら、やらなきゃいけない事の予定ばかりで、自分で「なにしようかなぁ」という予定が全然ないからです。
そこで、一般の解釈とは違うのかもですが、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を思い出したんです。
ゴーシュには、十分な時間がなく、追い詰められれていました。
一晩で上達できるわけもなし。
しかし、動物が押しかけた時、すごく親切な訳ではないけれど、忙しい自分にできる最低限のことは、見事にやっている感じがしたんです。
上手くなるならないはともかく、上手くなりたいけれど、時間はないけれど、目の前のことに対応しているなぁと。
色々なサイトを見ると、童話から得られる教訓ってすごくわかりやすく書いてあって、。
心せわしなく過ぎる毎日に、突然今年も終わりの雰囲気が流れてきて、とても寂しいような、何も目的が見当たらないような気分になって。
そんな時に、ふとこの2つの童話を思い出したんですよね。
目的も手段も曖昧、あべこべで、ただただ過ごす今日でも、まあいいのかなぁと。
「ブレーメンの音楽隊」に!と言えるロバと、できる事をただやりながら時間を過ごす「セロ弾きのゴーシュ」が、秋の推し、というのでしょうか。
急に思い浮かんだ音楽つながりの童話に助けられた今日でした。