書けない時は、無理せず「エアー日記」「カラー日記」。
1 書き残そうとしているのは、出来事より、気持ちと雰囲気。
2 悲しすぎて書けない時。
3 心が「無」すぎて書けな時
4 心が忙しすぎて書けない時
5 「日記は自己との対話」だとしたら。無理に書かずに何をしよう?
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1 書き残そうとしているのは、出来事より、気持ちと雰囲気。
スマホで写真を撮るようになってから、イベントは、写真を見れば振り返れるようになりました。
手帳アプリを使うと、予定はリマインドがかかるので、手帳に書かなくてもよくなりました。
それなのに、紙の手帳を見ると、なぜかとても欲しくなるのはどうしてか。と考えてみました。
沢山書きたいとか、楽しみな予定をおしゃれな手帳で眺めたいというわけでもないです。
ほんの少し、書き付けたいこの気持ちは、自分の気持ちや雰囲気を何か少しだけ残したいということなのかな、と思いました。
エアー日記、キーワード日記、カラー日記などなど、私自身、自分の気持ちによって、、自由に日記しています。
どんな時に、どんな方法で日記するか、少し書いてみました。
2 悲しすぎて書けない時。
気持ちが大きすぎると、全然日記や手帳を開けない時があります。
特に、私の場合は「悲しい」気持ちがあまりに大きくて、何年も日記から遠ざかりました。
ちょっと、書く事とは違うかもしれませんが、深呼吸をすると、日記に書きつけたのと少しだけ同じ感覚がある事に気づきつつあります。
「空気に日記を書く」もたまにはありかなと思ったのです。
悲しい時は、
深呼吸で「エアー日記」が私なりのオススメです。
日記を書けないぐらい、悲しい自分自体を悲しむ事は、少しずつやめられそうです。
深呼吸には、言葉以上の気持ちが、ちゃんと詰まっているから、「エアー日記」です。
3 心が「無」すぎて書けな時
私の場合、繰り返しの毎日で特に何も書き記す必要もない、そんな日がほとんどだったりします。
やっぱり無理して書くこともないかと思うのですが、私はない時こそ、三年連用の日記に、キーワードで書くのがいいかな、と思います。
文で書くと、正直重く、面倒くさいです。だから、今日のニュースでも食べたスイーツでも、全部、キーワードのみ。これを三年やったら、過去の自分の心の動きがキーワードで把握できると気づきました。
なぜなら、何も浮かばない時に、思い浮かんだキーワードは、自分をとりまく何気ない環境をよく表していたからです。(三年分の日記がかける物※名言がついてたりします)
4 心が忙しすぎて書けない時
案外時間がなくても、心に余裕があると、日記は隙間時間に書ける気がします。書けないのは心が忙しい時です。
そんな時は、問答無用に食べた物を書きます。何も考えずに、紙の手帳に、1日で食べた物を一つ二つ書きます。
どうしてかというと、心が忙しい時は、暴食しがちな性格だからです。
食べた物を思い出そうとすると、ああ、「それどころじゃない日」が続いちゃってるなぁって実感する事ができるからです。
突然ですが、心が忙しい時に、私が食べたくなる傾向にあるのは、蒙古タンメンです。
5 「日記は自己との対話」だとしたら。無理に書かずに何をしよう?
日記の名言を調べたら、
トルストイの言葉で、
「日記は自己との対話である」
とありました。
そうだとしたら、日記が書けない、書きたくないという事は、自分と対話したくない気持ちなのかもしれないと思いました。
やっぱり、書きたい時に書くのが1番。
それでも何かという時は?
今日の気分の色をただ、カレンダーに塗る。
これも続けると、何やらきれいに見えて、文字で表現したくない日も、
記した感はあります。
結局、色々やってみて、日記から思うことは、「案外自分が思うよりも自由かなぁ」というほわっとしたことなのでした。